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鹿児島市内観光ガイド 鹿児島市の「錦江湾の海と桜島火山」の織り成す風景がイタリア・ナポリ市の「ナポリ湾とベスビオ火山」の風景と共通するところから両市は姉妹都市となっている。鹿児島市内には美しい並木とツツジの咲くナポリ通りがあり、ナポリ市には鹿児島通りと命名された道がある。鹿児島市は東洋のナポリとも言われるが、風景の美しさは鹿児島市のほうが素晴らしい。
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西鹿児島駅〜城山:カゴシマシティビューバスで20分。
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![]() (城山公園からの展望) |
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城山周辺は西南戦争最後の激戦地で、西南戦争に関わるさまざまな旧跡が残っている。 城山公園のバス路途中の(城山展望台から徒歩約15分下った)岩崎谷は西南戦争最後の本陣で、西郷隆盛が自決するまでの5日間を過ごした「西郷洞窟」がある。 城山公園登り口には西郷隆盛が自決した場所を示す記念塔が立っている。
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鶴丸城
本丸跡に明治100年を記念して「黎明館」が開設され、鉄砲伝来、明治維新関連、考古・民俗資料、美術工芸品などが収蔵されている。 西鹿児島駅からバス13分、市役所前下車徒歩5分
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![]() (鶴丸城跡) |
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黎明館 所在地:鹿児島市城山5−1 TEL:099−222−5100
鶴丸城二の丸跡に島津斉彬を祀る照国神社があり、島津斉彬・久光・忠義の銅像が立っている。 城山周辺の観光・見学順路はバスで城山展望台へ行き、城山展望台→西郷洞窟→南洲終焉の地→薩摩義士碑→私学校跡→黎明館→鶴丸城跡と歩くと良いでしょう。
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鶴丸城は城山の南麓に位置し、「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」という兵学精神に基づいて築城された。この城は、近世一般の城郭に見られるような戦闘に備えた高い石垣の上に天守閣の聳える堅固な防備の城郭とは異なり、天守閣のない屋形造りの居館であった。城内の規模は1万8千平方メートルあったと想定される。
築城の正確な年代は不明だが、関ケ原の戦いの2年後、慶長7年(1602年)に島津家久が着工し、幕末まで島津家の居城となった。 また、鶴丸城に一極集中して藩経営を行うのではなく、藩内を113に区画して「百二の外城」といわれる地頭仮屋を設け、その周囲に「麓(ふもと)」・「郷」といわれる武士集落を構成して地域の行政を執り行わせた外城(とじょう)制度を設けた。 薩摩藩は77万石といわれ加賀藩102万石に次ぐ雄藩であったが、籾高ではなく米高に直すと37万石程度であった。また、総人口の4分の1が士族であり、この比率は全国平均の6倍にあたり、財政的に苦しかった。 外城に勤める藩士の多くは普段の生活では農耕に携わり、定期的に軍事訓練を受けて、事が起きれば武士集落がそのまま軍となってなって戦う制度になっていて、財政問題と、家臣が多いためと、「人をもって守りと為す」の薩摩藩の精神が重なった屯田兵制度であった。 外城の武士達は「郷士」と呼ばれ、城下の武士・「城下士」と身分がはっきり区別されていた。
薩摩藩に数多く存在した外城は江戸時代以前の全国各地にも見られたが、徳川幕府の元和(1615年)の一国一城令により、他藩では多くが取り壊された。しかし、江戸から遥か遠い島津藩では外城は完全に破壊されずに残存した。 鶴丸城築城以前の居城である内城(うちじょう)は大龍寺となり、現在は大竜寺小学校(鹿児島駅近く大竜町)になっている。中世からの戦闘防禦用の城としては城山の山上に上山(うえやま)城があり、居館として鶴丸城が造られた。 鶴丸城は元禄9年(1696年)に大火によって焼失し、宝永元年(1704年)に復旧された。 |
| 明治元年(1868年)の明治維新の後、廃藩置県が行われ、この城の一角に熊本鎮西鎮台第2分営が設置され、歩兵1大隊が駐屯した時期、明治6年(1873年)に再び火災で焼失した。 征韓論に破れて下野した西郷隆盛は、この焼け跡に「私学校」を設立した。
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![]() (私学校跡) |
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幕末から明治維新後にかけての歴史を知ってから城山・鶴丸城を観光・見学すると、視野に飛び込んで来るもの一つひとつに感慨を覚えます。 西郷隆盛と西南戦争についての歴史豆知識ページを読まれる方はここをクリックしてください
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城山の麓、鶴丸城近く西郷銅像の隣。鹿児島出身の画家・黒田清輝や藤島武二らの絵画や、彫刻、薩摩焼などの美術工芸品を展示している。 西鹿児島駅からカゴシマシティビューで10分、西郷銅像前下車徒歩2分 開館時間:9:00〜17:00 所在地:鹿児島市城山4−36
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天文18年(1549年)にザビエルが鹿児島に上陸しキリスト教の伝道を行ってから400年を記念して、昭和24年(1949年)に建てられ、平成11年(1999年)、ザビエル上陸450年を記念して建て直された。 西鹿児島駅からバス7分、高見馬場下車 所在地:鹿児島市東千石町 TEL:099−222−3408
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![]() (ザビエル滞鹿記念碑) |
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幕末期、西郷隆盛と京都の清水寺の僧・月照は京都で尊王攘夷活動をしていた。安政5年(1858年)、「安政の大獄」で勤皇志士達の捕縛が強化されると、両名は京都から薩摩に逃れた。しかし、島津斉彬の死後、佐幕派に傾いていた薩摩藩から月照追放の命が出され、落胆した両名は入水を図った。西郷は生き残ったが、月照は水死した。 南洲寺に月照の墓がある。 所在地:鹿児島市南林寺23−22 TEL:099−222−5655
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西鹿児島駅からカゴシマシティビューで3分、「維新ふるさと館前」下車。徒歩5分。市電「高見橋」下車・徒歩3分。この加治屋町一帯は薩摩藩下級武士の居住地で、明治維新の偉人・西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎らの出身地。 館内にはジオラマや、西郷隆盛ら7体の等身大ロボットで、幕末の薩摩藩や人物を紹介している。鹿児島観光情報コーナー、鹿児島弁が学べるコーナーなどもある。 開館時間:9:00〜17:00 7月15日〜8月31日は9:00〜18:00 年中無休 所在地:鹿児島市加治屋町23−1 TEL:099−239−7700
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鹿児島駅の山側の南洲公園に続いて南洲墓地があり、西郷隆盛、桐野利秋、村田新八ら西南戦争で没した2000名余の人々が永眠している。墓地の北側には西郷隆盛を祀る南洲神社があり、近くに西郷南洲顕彰館がある。 開館時間:9:00〜17:00 月曜休館 12月28日〜1月1日 所在地:鹿児島市上竜尾町2−1(南洲公園)TEL:099−247−1100
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![]() (南洲墓地) |
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市内を流れる甲突川河口の天保山公園には薩英戦争時の砲台跡、維新の志士・坂本龍馬が妻のおりょうと訪れた新婚旅行の碑がある。 鹿児島駅近くの稲荷川河口の祇園州公園にも薩英戦争時の砲台跡があり、近くにはサビエル上陸記念碑がある。
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尚古集成館
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園内の尚古集成館は、島津斉彬が幕末期の嘉永6年(1853年)に藩の近代化・軍備の充実を図って建造した集成館洋式機会工場の跡で、重要文化財に指定されている。館内には大砲、ガス灯、写真機、薩摩切子ガラスなどが展示されている。 隣接して薩摩切子工場、工芸館、明治38年に建てられた島津興業本社が復元されている。 カゴシマシティビューで30分、磯庭園下車 所在地:鹿児島市吉野町9700−1 TEL:099−247−1551
入園時間:8:00〜17:30 11月1日〜3月15日は8:00〜17:20 休園日無し
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慶応3年(1867年)建築の洋館。島津忠義の造った洋式紡績工場で技術指導にあたった英国人たちの住居跡。仙巌園から市街方向へ徒歩5分 西鹿児島駅からバス25分 異人館前下車 所在地:鹿児島市吉野町 入館無 |
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